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八丁味噌の生い立ち

家康生誕の岡崎城より西へ八丁はなれた八町村、ここにて当家(早川家)の始祖・久右ヱ門勝久が味噌の仕込みを始めたのが、八丁味噌の起こりと伝えられています。
この地方は、良質の大豆(矢作大豆と呼ばれる)を産出したうえ、花こう岩質の地盤からは良質の天然水が湧き出しました。そして、矢作川の水運により、吉良地方の塩も入手し易く、味噌づくりにとって三拍子揃った立地条件だったわけです。一方、湿度が高く食品を保存する面では不利な条件を逆手にとり、早川家の先祖は保存性が高く、食味が良好で栄養価の高い味噌造りを確立しました。
八丁味噌の創業は江戸時代初期ですが、早川家にはそれ以前すでに優れた豆味噌を造る技術があり、それによってできた味噌は風味の良さと長期保存ができ携行に便利なため、三河武士の兵糧としても愛されました。

味一筋に十九代

保存資料の一部

保存資料の一部
寛政七年の大豆買帳
享和四年の味噌売帳
寛永四年の江戸当座帳

味噌造りの伝統は代々受け継がれ、江戸時代の後半には出荷量の1/3〜1/4が江戸へと送られていました。そして明治25年に宮内省への納品が始まり、34年12月には正式に御用達の栄に浴することになりました。
戦時下では大豆不足による大巾な減産という大打撃を蒙り、生産面での回復には、長期の仕込みを必要とすることから、他の食品にはみられぬ苦労を強いられました。しかし、皆様の信頼に応えるべく、頑なに伝統の製法を守り、始祖勝久より数えて十九代、常に品質の向上に努め、これからも日本の食文化に貢献していきたいと考えています。

赤出し味噌の誕生

新もみじSAT30箱付

使用法が簡単で、中部地区以外の嗜好にも合い、しかも八丁味噌の風味が生かされた…という考えから、昭和31年頃から研究に着手し、翌32年12月、〈赤出し味噌〉の名で関西方面へ出荷したのが始まりです。以来、年々好評を得、昭和37年頃から全国に販路がひろがるようになり、手軽で便利と親しまれています。