~大給 恒(松平乗謨)~
1839年(天保10年)~1910年(明治43年)
東京都出身。伯爵。賞勲局総裁・博愛社(後の日本赤十字社)創設。
旧名は松平乗謨と言い、三河松平一族の最後の奥殿藩主(愛知県岡崎市)。後に信州田野口(長野県佐久市)へ本拠地を移転し、西洋式の五稜郭を築城しました。
明治政府にも出仕し、貴族院議員、賞勲局総裁ら要職を歴任し、日本の賞勲制度の確立に尽力しました。
西南戦争(明治10年)の際に佐野常民と後の日本赤十字社の礎となった救護団体「博愛社」を創設。佐野が「日赤の父」と呼ばれたのに対し、大給は「日赤の母」と呼ばれました。
当社史料室には昭和初期にお客様の御用命により大給伯爵邸に味噌をお送りした記録が残っています。宛先は東京都。
また、明治39年に17代早川久右衛門が賞勲局総裁当時の大給恒から賜った賞状が残されています。
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