1788年(天明8年)~ 1944年(昭和19年)まで、愛知県碧南市で6代にわたり瓦を製造した鬼師(鬼瓦職人)。
永坂杢兵衛家は2代目〔1757年(宝暦7年)~1826年(文政9年)〕が京都で最新の製瓦法を学び、1788年(天明8年)に郷里の碧南市において、瓦生産を本格的に始めたとされます。7代目が1944年(昭和19年)に休業するまで、6代にわたり瓦を生産していました。
全国に70人~80人いる鬼師のうち約50人が愛知県の碧南市、高浜市を拠点にしています。西三河地域に集まっているのは、三州鬼瓦の名工と知られた2代目永坂杢兵衛と高浜市の山本吉兵衛〔1830年(天保元年)~1904年(明治37年)〕の存在が大きく影響しています。
明治21年に発行された「参陽商工便覧」には、永坂杢兵衛の工場の絵が掲載されています。
永坂杢兵衛は数々の賞を受賞しており、2018年(平成30年)9月29日~11月11日に岡崎市美術博物館で開催された「明治一五〇年 近代日本の挑戦者たち―博覧会にみる明治の三河―」では、内国勧業博覧会に瓦を出品した際の関連資料が多数展示されました。
当社史料室には昭和初期に永坂杢兵衛の自宅宛に味噌をお送りした記録が残っています。自宅は碧海郡棚尾町(現・愛知県碧南市)。
当社史料館には、当社の蔵の屋根に設置されていた杢兵衛の鬼瓦を常設展示しています。瓦には「三州 瓦師 杢兵衛 棚尾」の文字が確認できます。
PDFで詳しくみる